こんにちは
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がんべあです
「宮崎監督作品の魅力を分析する」シリーズ
今回が最終回
最後に「ハウルの動く城」以降の作品と「今後の宮崎監督」についての考察をします
このブログを読む事で、宮崎監督の作品をもっともっと楽しめるようになってくれると嬉しく思います
宮崎監督作品の魅力を分析する(第7回目・最終回)
一回目がまだの方はこちらからお読み下さい
「憧れ」と「タタリ神」
今回は「憧れ」と「タタリ神」と言う切り口で、その後の宮崎監督を分析します
前回、宮崎監督の「憧れ」は「家族」と分析をしました
その後、宮崎監督は「崖の上のポニョ」「風立ちぬ」と長編映画を創ります
主人公の二郎はこの作品の中で「安心できる家族」を得る事ができたのでしょうか?
主人公の二郎の憧れは菜穂子さん
主人公の二郎は菜穂子さんとの温かい家庭を求めますが、結局その夢は叶いません
絶望しそうになる主人公、しかし「生きねばならぬ」と歯をくいしばい、その苦しみを静かに耐えていくのです
「苦しみに耐えるその姿」は私にはもののけ姫に登場する神々、乙事主やモロの姿と重なって見えてしまいます
その苦しみに耐えることができなくなった時、人はタタリ神になってしまう
宮崎監督の作品を見ていると私にはそう言ったメッセージが伝わってきます
もう宮崎監督にはタタリ神にならないように「耐え続ける」事しか残されていないのでしょうか?
いえ、そんな事はないと思います
それでは寂しすぎます
人は憧れを手にした時、それ以外の苦しみを「耐える」のではなく「受け入れる」事ができます
世の中の不条理、愛する人や自分自身の死、老いや病気
「憧れを手に入れた時」、そう言った逃れようもない苦しみは「耐える」ものから「受け入れる」ものに変化します
人がタタリ神になってしまう原因は何でしょうか?
それは「届かない憧れへの絶望」
たとえ「憧れ」にまだ届かなくても、それが手に入る事を信じて前に進むうちは、その人にどんな事が起ころうとタタリ神になる事はありません
タタリ神に落ちてしまうのは人が「憧れ」を求めるのに絶望した時だと思います
タタリ神に落ちない方法
「憧れ」を求めるのに絶望しない方法
それは「憧れ」に向かって一直線に進むことを止める事
「ハウルの動く城」のソフィーは憧れ(ハウル)に向かって一直線に進むのではなく、憧れと逆方向へ進んで行く事で、憧れを手にする事ができました
「憧れ」への道は険しすぎるから、遠回りの緩やかな道を進むべきなのです
そして、最終的に「憧れ」に辿り着く
これが憧れに絶望しない方法
宮崎監督の次の作品
現在(2019年3月)、宮崎監督は次回作の制作に取り組んでいます
願わくばその作品で本当の憧れを手にして欲しいと思います
その為には憧れ(タイプ6)との絆ではなく、まずは憧れの逆方向(タイプ3)のキャラクターとの絆を深める内容であって欲しいです
ユパとクシャナ
アシタカとエボシ御前
ハクと湯婆婆
「この組み合わせのキャラクター達が深い絆を築くお話」
それが宮崎監督が憧れを手に入れる近道だと思います
同じタイプ9が主人公の作品に「モブサイコ100」や「物語シリーズ」があります
これらの作品ではタイプ9の正しい成長への道筋が描かれています
「モブサイコ100」の主人公、モブはタイプ3の霊幻新隆師匠との関係を深めて、その後憧れであるタイプ6の高嶺ツボミちゃんとの関係を深めていきます
「物語シリーズ」の主人公、阿良々木 暦はタイプ3のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードとの関係を深めて、その後憧れであるタイプ6の戦場ヶ原 ひたぎとの関係を深めていきます
「ユパはクシャナ」
「アシタカはエボシ御前」
「ハクは湯婆婆」
この二人の間に「お互いの背中を任せることができるパートナーとしての関係」を築きあげる
一人では到達できずに「絶望」するしかなかった「険しい憧れへの道」が心の底から信頼しあえる二人の協力によってようやく切り開かれるのです
最後に
きっと宮崎監督は絶望ではなく、憧れに辿り着く作品を作ってくれると私は信じています
大きな期待を持って宮崎監督の次回作を待ちたいと思います
これで今回の連載は終了ですが、宮崎監督の作品に対してはまだまだお話したい事は沢山あります
それはまた次の機会にて
長い連載にお付き合い下さいまして、ありがとうございます
この記事があなたの「創作活動」と「物語を楽しむ事」に少しでもお役に立てると嬉しく思います
みなさんの毎日が楽しいものになりますように!
【この記事の続き:「風立ちぬ」をエニアグラム分析してみました】
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