こんにちは
みんなと一緒に幸せになりたい
がんべあです
この作品は2013年(平成25年)公開作品
日本での興行収益は120億円
アニメ映画としては歴代7位
(2018年11月時点)
「風立ちぬ」を最初観た時には非常に戸惑いました
今までの宮崎監督の作品とは別モノだったからです
しかし何か心にくるものはある
それは何なのか?
今回は13フェイズに従って物語を分析すると同時に、「この作品は今までの作品と何が違うのか?」を考えていきたいと思います
ではお話の詳しい解説を始めましょう
※物語は人によって千差万別な捉え方ができると思っています、このブログはあくまで私の目から見た意見ですのでご了承下さい
※「」と
OO:「OOO」
は引用部分 引用はアニメ「風立ちぬ」から
※ネタバレありです、ご注意を
「風立ちぬ」のお話
このお話の主人公は堀越二郎
二郎の抱える問題点は「パイロットになれない事」
そんな悩みを持つ二郎は夢の中でカプローニと出会い、飛行機の設計家となる決意をします
物語前半、第7フェイズまでは二郎はライバル本庄の助けを得て理想の飛行機創りを目指します
本庄は二郎と並ぶ飛行機の天才設計家だけではなく、内面に閉じこもり無頓着になりがちな二郎に足りない「常識的に世間を見る目」があります
二郎はそんな本庄から多くのアドバイスをもらいながら成長していきます
本庄:「列強はジュラルミンの時代になっているんだ たまには肉豆腐を食え 俺たちは10年以上遅れているぞ!」
本庄:「そりゃあ偽善だ お前 その娘がニッコリして礼でも言ってくれると思ったのか?
二郎は新型飛行機の設計主任に抜擢された時に本庄と一緒にやりたいと上司に頼みます
しかし、その依頼は却下され、第8フェイズ以降の後半では二郎は本庄の助け無しで開発を続けていく事になります
物語後半では二郎は奈穂子に支えられながら飛行機の開発を行います
寝たきりの奈穂子と手を繋ぎながら片手で設計図を引く二郎が印象的なシーンでした
奈穂子:「おかえりなさい」
二郎:「終わったよ 後は飛ばすだけだ」
奈穂子:「ごくろうさま…おめでとうございます」
二郎:「牛に引かれて飛行場へ行ったよ 一寸向こうに泊まり込みになりそうだ」
奈穂子:「おつかれでしょう」
二郎:「ちょっとね」
奈穂子:「きっとちゃんと飛びますよ」
二郎:「うん飛ぶよ 奈穂子がいてくれたおかげだよ」
奈穂子:「二郎さん 大好き」
二郎:「奈穂子…」
奈穂子の献身的な協力を得て、物語最後で二郎は念願の美しい飛行機を作り上げる事ができます
物語は実に美しく切ない形で幕を閉じます
めでたしめでたし…と言いたい所ですが、何か色々と後味が悪い感じがしませんか?
ここには宮崎監督から私達観客に投げかけられた問いかけがあるのだと思います
宮崎監督からの問いかけ
宮崎監督はこの物語の中で観客に対して「問い」を投げかけています
「美しいものを創る為に他の全てを捨て、文字通り人生をかけた二郎。あなたはこの主人公の生き方を肯定しますか?それとも否定しますか?あなたが同じ立場だったらどうしますか?」と
今までの宮崎監督の作品には物語の最後に美しい「答え」が用意されていました
銭形:「いえ、奴はとんでもないものを盗んでいきました」
クラリス:「…?」
銭形:「あなたの心です」
(ルパン三世カリオストロの城より)
シータ:「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」
(天空の城ラピュタより)
アシタカ:「共に生きよう、会いに行くよヤックルに乗って」
(もののけ姫より)
ハク:「私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。平気さ本当の名を取り戻したから」
(千と千尋の神隠しより)
マルクル:「ソフィー 行かないで!僕 ソフィーが好きだ ここにいて」
ソフィー:「私もよ マルクル 大丈夫 行かない」
マルクル:「ほんと!」
ソフィー:「うん」
マルクル:「僕ら 家族?」
ソフィー:「そう 家族よ」
マルクル:「良かった!」
(ハウルの動く城より)
マンマーレ:「ポニョの正体が半魚人でもいいですか?」
宗介:「うん、ぼく お魚のポニョも半魚人のポニョも人間のポニョもみんな大好きだよ」
(崖の上のポニョより)
だからこそ観客は安心して物語を最後まで楽しむ事ができました
今回は違います
宮崎監督は自身の考える答えを提示せずに「本当にこれでいいのか?」と我々に対して問題を投げかけているのです
「いや、それは考えすぎだろう」と言う意見もあると思います
しかし私は次の理由からそうではないと分析します
宮崎監督が我々に問題を投げかけていると考える3つの訳
①「主人公に感情移入させない演出をしている事」
このお話の主人公、二郎は「何を考えているのかが分からない」様な演出が徹底してされています
二郎の行動やセリフから我々観客は主人公の気持ち、考えを想像するしかありません
②「主人公の否定的な面を隠さず描いている事」
主人公の二郎はかなり嫌な面を持っています
「若く美しい女の人や飛行機ばかりに目が行ってしまう俗物的な所」
「少年時代のワルガキ、家で働く女中、あまり美しくない妹、職場の上司との最初の出会い、軍の偉い人達、そうした”自分が認めていない人”には興味がなく、話を聞こうともしない。人を人として見ていません」
「自分の夢、美しいものを創る為には庶民の事など気にかけません 日本が滅ぼうが、自分が創った飛行機が戦争に使われようが、どうでもいいと思っています」
この性格はかつて宮崎監督の作品に登場してきた悪役「ムスカ」「レプカ」「カリオストロ公爵」そのものと言ってもいいかもしれません
もちろん、良い面も描かれており、その両方を描く事で、観客にありのままの主人公の姿を見せています
これは宮崎監督が見せたい理想の主人公ではなく、客観的に素の二郎を見せる事で、観客に判断をしてもらいたいからだと思います
③「風立ちぬのお話がゲーテのファウストをモチーフにしている事」
「ファウスト」は主人公が悪魔から魂と引き換えにこの世の快楽を体験させ誘惑されるお話
カプローニ:「いいかね日本の少年よ 飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもないのだ 飛行機は美しい夢だ 設計家は夢に形を与えるのだ」
物語の冒頭でカプローニが夢の中で二郎を誘惑するシーン
一面は見渡す限り綺麗な草原、しかしカプローニの顔には狂気が宿り、後ろの背景は斜めになり螺旋状にグルグルと回転しながら落ちていきます
そして、物語の最後では同じ草原で二郎はカプローニと再会します
その草原の麓には最初の出会いでは隠されていた飛行機の残骸が一面に散らばっています
二郎:「ここは最初にお会いした草原ですね」
カプローニ:「我々の夢の王国だ」
二郎:「地獄かと思いました」
カプローニ:「ちょっと違うが似たようなものかな…」
物語の最初では正義感が強く、弱い者いじめを許せず、ワルガキ共に挑みボコボコにされてしまうが、それを誇りに思っている二郎
夢の中で「自分の住む美しい田舎の田園」や「紡績場で働く若い娘達」を守ろうと、自作の飛行機に乗ってドイツの飛行船に闘いを挑もうとする勇敢な精神を持っていた二郎
しかし、二郎はカプローニの誘惑に従い、夢を追いかけ、それ以外の全てを捨てる事で変貌していきます
夢を追いかける姿は確かに美しい
しかし、よく観てみると二郎の変貌ぶりはひどいありさまです
果たしてこれでよかったのか?
宮崎監督はその答えを敢えて用意せずに、問題そのものを我々に投げかけ考えさせる作品を創ったのだと思うのです
これは前作「崖の上のポニョ」からの流れを踏まえるとより分かりやすくなります
私は前回のブログで「崖の上のポニョ」の中で宮崎監督はこう宣言していると書きました
「もう、自分の作品を自分だけでコントロールする事は止めた!これからは自分の作品を観客に委ねよう」
【前回記事:崖の上のポニョの分析】
その結果を受けて創られたのが今回の作品「風立ちぬ」
今までの様に宮崎監督は作品の中で善悪の判断をコントロールして示してくれる事は無くなりました
これからはその判断は一人ひとりの観客が行っていかなくてはなりません
その回答は100人いれば100人の答えが出てくるでしょう
そうした作品を目指し、見事に創り上げてしまう宮崎監督はやはり天才なのだと思います
私の判断
「二郎の生き方を良いと思うか、悪いと思うのか?」
宮崎監督からとても難しい問題を投げかけられてしまいまいした
次回のブログではこの点について私なりの考えを述べていきたいと思います
今回はここまで
まだまだ勉強不足で、勘違いや、解説に至らぬ点も多くあると思います
疑問点などありましたら是非教えてください
この記事があなたの「創作活動」と「物語を楽しむ事」に少しでもお役に立てると嬉しく思います
みなさんの毎日が楽しく幸せなものになりますように!
【次回記事:「二郎の生き方」についての考察です】
【宮崎監督作品に関する過去記事はこちらから】
【13フェイズについて詳しく知りたい方はこちらの記事をどうぞ】
【参考資料】
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