がんべあの「ぶれない」キャラクター&ストーリーの作り方

創作活動の強い味方「エニアグラム」と「13フェイズ」

物語の書き方 ストーリー構成を学ぼう アニメ「天気の子」を13フェイズで分析する

f:id:gunber:20200912112253j:plain天気の子より ©2019「天気の子」製作委員会

 

 こんにちは

 みんなと一緒に幸せになりたい

 がんべあです

 

 今回は新海誠監督作品「天気の子」を13フェイズ分析します

 

この作品は2019年(令和元年)公開映画

 

 

「君の名は」の大ヒットに続く新海監督の作品

プレッシャーが大きかったと思いますが、実に見事な作品になっていました

新海監督の「今の想い」が溢れんばかりに込められた作品だと思います

 

監督が描きたかった「想い」とはいったい何だったのでしょうか?

それを解き明かす為に本編を13フェイズに従って観ていきましょう

 

 

※「」と

OO:「OOO

は引用部分 引用は全て「天気の子」から

 

ネタバレありですのでご注意ください

「天気の子」のお話

 

主人公は高校1年生 16歳の男の子、森嶋 帆高(もりしま ほだか)

 

彼の抱える問題点

「無力な子供である事」

「自分のしたい事が分からないこと」

 

その状態に耐えられない帆高はある日、分厚い雲の隙間から伸びる幾つもの「光の筋」を見つけます

追いかけても追いかけても届かない光の中に飛び込みたい

その想いに導かれ、フェリーに乗って東京に向かう所から物語は始まります

 

13フェイズに従って物語を見てみましょう

 

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 物語の折り返し点である黄色の枠、第7フェイズまで帆高陽菜須賀の助けを得て成長していきます

  

しかし、第7フェイズ「転換」で突然頼りにしていた須賀に「家へ帰れ」と冷たく突き放されます

そして陽菜の姿も帆高の前から消えてしまうのです

 

第8フェイズ以降の「物語後半」は帆高誰の助けも無しで、一人で成長していくお話になります

 

そして試練による破滅を経て、帆高は光(=陽菜)を得ることができるのです

その後、高校を卒業し大人としての力を手に入れた帆高は改めて陽菜のいる東京へと向かいます

 

物語当初の帆高の抱えていた2つの問題点

「無力な子供である事」

「自分のしたい事が分からないこと(光の元へ辿り着けない事)」

 

物語の最後、問題点の2つを解決した帆高は再び東京で陽菜に再会します

 

新海監督のやりたい事

 

監督の分身である帆高が見つけた光(=やりたい事)とは具体的には何なのでしょうか?

 

 私の尊敬する岡田斗司夫先生の分析を交えて述べさせてもらいます

 

主人公帆高が見つけた光、それは物語の中では陽菜として描かれています

 

陽菜は100%の晴れ女

短く狭い範囲ですが、雨が続く空を快晴にする事ができます

 

新海監督が「やりたい事」

それはこの暗く狂った世界に晴れ間(希望)をもたらしたい事だと私は思いました

 

新海監督は前回の作品「君の名は」ではそれまでの方向性を180度変えて分かりやすい物語を創りました

その結果、作品は大ヒット、多くの人々に夢と希望と言う晴れ間をもたらす事ができました

 

しかし分かりやすい物語によって「安易」に晴れ間を人々に供給する事には2つの大きな危険があります

 

それは今回の作品「天気の子」の中で示されています

 

1つ目の危険性は、与えられた晴れ間は短く限定的、そしてその後は更にひどい暗雲が訪れてしまう事

 

雨の降り続ける狂った世界(新海監督曰く)から逃れる為に「分かりやすく楽しめる映画」を観て束の間の晴れ間を感じる観客

しかし、その晴れ間はすぐに消え去ります

そして苦しい現実から逃れる為に観客は次の「分かりやすく楽しめる娯楽」を求め続けます

 

そうやって現実逃避を続けていくことによって、私達を取り巻く世界は更に暗く狂っていくと言う負のスパイラルに陥ってしまう

「安易な分かりやすい映画(娯楽)」にはそうした危険性があると新海監督は感じているのだと思います

 

 

2つ目の危険性は、自分を殺し人々に晴れ間を提供し続ける事によって、与え手(新海監督)自身が自分を見失い消えてしまう事

 

 

 

苦しい現実から逃れるための映画自体が、より苦しい世界を創り出してしまう、そしてそう言う映画を創り続ける事で監督自身がだんだんと自分を見失ってしまう

 

そういうジレンマ、苦しみを新海監督は感じていたのでしょう

 

この問題にどう取り組むべきだろうかと苦しんだ監督、「天気の子」を制作する前にこう決めたのだと思います

 

それでも「人を信じて分かりやすい作品を作り続けよう、そして自分を見失わないようにしっかりとしたテーマを作品の中に込めていこう」

 

人は与えられた映画(アニメ)の上辺の感動にひたり現実逃避を繰り返すのではなく、その奥に隠されたテーマを読み取り「自らの力で現実の世界をよりよく変えていくもの」に変換する事ができる

人はそんなに弱いものではない!

 

それが新海監督が信じた人の姿なのだと思います

 

 

「僕たちは大丈夫だ」

 

 

 ラストシーンでの帆高のセリフ

 

この「僕たち」新海監督自身を含めた人類全てに対しての言葉なのだと私は思うのです

 

今回はここまで

 

 まだまだ勉強不足で、勘違いや、解説に至らぬ点も多くあると思います

 疑問点などありましたら是非教えてください

 

 この記事があなたの「創作活動」と「物語を楽しむ事」に少しでもお役に立てると嬉しく思います

みなさんの毎日が楽しく幸せなものになりますように!

 

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